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技術の継承

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卍易風水鑑定はコインを振ることで、現状のエネルギー状態を可視化することで未来をデザインします。

施術・講座・占い
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《美容矯正・整体法》
講師&セラピストとして長年培ってきた
経験を活かし、体からのアプローチで
あなたを心身ともに健康に導きます。

《卍易風水鑑定》
中国古来の占法の一つである卍易であなたが望む
未来への一歩を後押しさせて頂きます。

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自分の日常を変えたい、体を整えたい、誰かの役に立ちたい、どの選択がベストか知りたい…。
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ヒストリー

徳永静香(とくなが しづか)

千葉県生まれ、在住。5人家族、三人兄弟の末っ子(姉と兄)として生を受けました。

甘やかしてくれる環境のおかげで、自己中心的、甘えん坊、みんなが自分の言うことを聞いてくれて、泣けば大抵のことは思い通りになると考える子になっていきました(笑)。

末子なので人を観察して空気を読むことや、人を丸め込めこんで自分の味方にする事が得意となりました。

ものごころつく頃には、自分の体を観察したり、触れたりして遊んでいました。例えば、自分の手や腕を眺め、「この青い線(静脈)はなんだろう?」と皮膚をゴシゴシさすってみたり、肋軟骨や浮肋を持ってパカパカ動かしてみたり、「手のひらを太陽に」の歌のように、手のひらを太陽にすかして血流を見ようとしたり、目を閉じて太陽を見上げて目をキョロキョロ動かして見えてくる像はなんなのか?と考えたり…。
今思えば、体を使った遊びの中で、体の作りや不思議を感じていたように思います。

学生時代は主にスポーツの部活動や水泳に精を出していました。水泳、バスケ、ソフトボール、バレーボール等、チームプレーを通して末っ子の甘えん坊気質はこの学生時代に矯正されたように思います。

学生時代は〝一番〟とか〝主役〟になりたかったのですがなれないことが多かったと思います。例えば、音楽会ではピアノを弾けないけど片手で連弾ならできると思い、立候補してめでたく選ばれたが伴奏の役だったり(本当は主旋律を弾きたかった)、楽器演奏ではアコーディオン担当だったが、一番低い〝バス〟の担当だったり(本当は一番高い音をやりたかった)、合唱ではアルトパートだったり(本当は主旋律のソプラノパートが良かった)、バスケットではポイントガードだったり(本当は点を決めるフォワードがよかった)。

この時期はまだまだ自己中心的な性格が強く出ていたので、自分の想いと裏腹な役回りをする事で人格形成の一端をになったのかもしれませんね。

学生時代は常にアルバイトをしていました。自由に使えるお金が欲しかったのです。焼肉屋さんや弁当屋さん、ホテル時代は鍋&しゃぶしゃぶの和食のお店で接客していました。人と接する仕事をする事が多かったです。


美容矯正という仕事を選ぶきっかけは、ホテルで働いていた時に将来のことをふと考えた時が発端となります。
ホテルで働くということはかなりの体力勝負だったので、30歳を目の前にして、体力的にこのままずっと働くのは難しいな、と思うようになったことです。

自分で考えた転職の条件としては、
・体力的に無理がない
・結婚、妊娠、出産しても働ける
・家族を介護しながらでも働ける
でした。

となると、「手に職」があった方がいいな、と考えるようになり、
・自宅でもできる
・一生ものの技術
・器械を使わないオールハンド

ということを念頭に技術を探しはじめました。
当時の私の愛読書は「好きを仕事に」と「ケイコとマナブ」で、発売されると隈なく目を通していました。


目が止まる職種、技術は必ず〝医療、体のケア〟の分類でした。技術を学ぶ所もあれば、器械を使う所もあり、私としては
・オールハンド
・一生ものの技術
・全身ケア
と更に条件を絞っていました。


そしてある日、雑誌をいつものようにパラパラめくっていたら、釘づけになる文字が目に飛び込んできたのです!

・頭蓋骨矯正
・内臓矯正

という文字でした。
え?頭蓋骨や内臓って矯正できるの…?と衝撃を覚えたのです。すぐに資料請求をし、資料を読んだ私は「これだ!」と直感で確信し、スクール説明に行きました。

スクール説明当日。この日はスクール説明だけで終わるはずだったのですが、担当講師の方が施術体験を勧めてくださったので、前日までの体力仕事で体が疲れていた私は全身ケアの〝オイルセラピー(筋肉筋膜矯正)〟を体験しました。

40分ぐらいの施術だったと思います。私はただ横になっていただけでした。優しいタッチでグイグイ揉んだりされないので、あっという間にまどろんでしまいました。声をかけられて気づき起き上がると、ずっと私の背中に乗っていた〝子泣き爺〟が施術後には跡形もなく消え去り、代わって〝天使の羽〟が出現したんです!私本来の体はこんなに軽かったのか!とびっくりしたことは忘れません。

この衝撃体験を経て、私は【美容矯正】と共に歩むことを決めたのです。



⚫︎PLPに書く仕事のスタート期のエピソード。(初期の苦労、挫折などが共感を呼ぶが
 そうでなくても可)


私は「勝山浩尉智の美容矯正専門カレッジ」で技術を学んだのですが、いきなり独立する気は全くなく、併設サロンかスクールで働きたいと思っていました。

社員になる為に必要な技術を、約一年かけて全て習得しスクールの社員となったのです。
とはいえ、スクールに配属です。さっきまで教わる側にいた自分が、今度は教える立場になるのですから結構なストレスでした。

技術は勿論のこと、解剖学は自分で勉強し、教え方や技術に対するより深い知識などの研修を受け、なんとか講師としてデビューする事ができました。

スクールはマンツーマン授業でしたので、受講生と講師、授業モデルの合計三名が一つの空間にいて同じ時間を共有します。

講師は受講生は勿論のこと、モデルにも意識を向けないといけません。最初の頃は一つの箇所の一つの動きを伝えるのに時間がかかり過ぎて、モデルがずっと同じ体勢にいることに注意が向けられず、辛い思いをさせてしまったり、質問されたことに対しての答えを直ぐに出せなかったり、受講生がうまくできないことに対してのアドバイスを多角的にできなかったりと、毎日が学びと反省と緊張の日々でした…。

就業後に同僚や先輩にお願いして練習させてもらいながら、課題をクリアにしていく日々を送っていました。



⚫︎PLPに書く仕事が軌道に乗ってきたエピソード

私と同じくスクールやサロンで働きたい、という想いを持って学びに来てくれる人も多く、私が教えた生徒さん達が何人も同僚となっていき、一人前になっていく姿を見るようになっていく機会がどんどん増えた事が、自分も成長してるんだなと感じる瞬間でした。

私が技術を教えたことで、この技術が受講生達の〝仕事〟としての未来が開かれるわけですから、そこにやりがいを感じていたのだと思います。

会社に属することで、スクール説明会を任されたり、説明会に来た方の体験施術なども担当させて貰ったり、美の祭典であるビューティーワールドジャパンに出展する機会に立ち会えたり、様々な経験をさせてもらいました。

⚫︎PLPに書く仕事へのこだわり。

「美は健康の上に成り立つ」という考えのもと、美容矯正の技術を通してお客様が健康で美しくなるお手伝いをさせて頂いている、というところ。

体は全て繋がっているので、お客様や受講生に全体を見ることの大切さをしっかりと伝えること。


⚫︎現在までの実績





⚫︎PLPに書く仕事でのコンセプト、ミッション。

一人でも多くの女性を健康で美しく輝かせること。
心と体、金銭面、家族との関係性に不安のない自立した女性を育成すること。




⚫︎PLPに書く仕事以外での仕事、活動。

⚫︎オステオパシー整体の講師&セラピスト

(一社)トリガーハンドアカデミーが提供する〝オステオパシー整体〟の施術と講師活動も並行して行なっております。

オステオパシー整体は原因療法の一つです。症状が出ている原因を見つけ、その原因を取り除く施術法です。
頭蓋、骨盤、骨、内臓、血管、神経をオールハンドで検査して、原因箇所のみ緩めますので体に与える刺激は必要最低限でバランスを取る事ができます。禁忌がありませんので誰でも施術可能な技術です。

⚫︎卍易風水鑑定師

断易の一種である卍易によって、様々な事象の吉凶やその打開策を読み取ります。さらに風水のご提案もさせていただきます。


⚫︎趣味

・読書
・気になった人のワークショップに参加すること
・人体解剖図を眺める事



⚫︎未来への展望。想い。

人は心身共に健康であるからこそ、好きな事ができます。ココロとカラダは表裏一体。病気に移行する前に、私ができる方法で皆さんの健康を維持するお手伝いができれば嬉しく思います。

まずは、自分と〝自分の大切な人〟から、この想いを伝え、広がっていくといいな、と思います。

セラピストとして体のケアを、講師として体のケアができるセラピストを育てていくことで、社会貢献をしていきたいと思います。

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